福岡県筑後市出身。

1972
大学のサークルで自作の歌を歌い始める。
保育士だった母親の影響を受け、幼稚園で1年、学童保育の指導員として13年間、職業病で退職するまで働きながら歌い続けた。

1993
アメリカ留学中射殺された、服部剛丈君の事件で「YOSHI」を作曲。銃規制の請願運動に関わる。CDの売り上げは、7000枚にのぼり、170万人の請願署名をクリントン大統領に手渡す際の渡米費となる。文化使節として同行。ご両親は署名をクリントン大統領に手渡す事ができた。 また、同年ニューヨークにて行われた、フォークの巨匠「ピートシガー氏」主催の「バドソンリバー・クリアウォーター・リバイバル」にて署名を訴え歌い、反響を呼ぶ。

1997
NHKテレビドキュメンタリー“さよならセンチメンタルママ”全国放送。
白血病で亡くなった光裕君のお母さんの詩「命のあさがお」に曲をつける。

2000
まのあけみ作曲「海をこえて銃をこえて」が警察庁製作ストップ・ザ・ガン・キャンペーンのテレビCMとなる。
北京で行われた、中国国際放送北京放送局、リスナーとの交流会にまのあけみコンサートが組み込まれ、日本人として初めて中国国際放送出演を果たし、成功をおさめる。
「命のあさがお」文部省選定東映教育映画挿入曲となる。                                       
沖縄でサミットに併せ行われた喜納昌吉主催“ニライカナイ祭り”−すべての武器を楽器に−に、出演。

2001
中国国際放送局60周年記念番組に出演。 中央テレビ(中央電視台)で全国放送。

2002
中国中央テレビ「実話実践」に出演。
文部科学大臣賞特別賞の東映教育映画「こころの交響楽」主題歌作詞・作曲・歌を担当する。
福岡県浮羽郡吉井町に息子と共に自宅兼アトリエ完成。
宮崎県都城市「青少年育成事業」で市内全校14の中学校で歌う。

2012
歌生活40周年

思春期の子どもに寄りそったコンサートは全国の中学校に広がり、今世代を超えて多くの人達に
支持されている。  
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